「77歳になっちゃったヨ〜ン」(12ー027)
少数派の私( 07 )

お袋がものすごいクスリの
収集家で、戦争当時、富山の
クスリ売りのお得意様で
我が家は箪笥を開けると
クスリがこぼれるくらい
いろんなクスリがあふれて
いた。
そんな家で育った反動か
私はほとんどクスリには
ご厄介にはならない。
よほど風邪をこじらせても
とにかく寝て直す、よほど
重傷の場合でも医者に
行く事はほとんどない。
市販の風邪クスリでなんとか
直してしまう方だ。
ただこんな生活をしてきたので
主治医を持っていないのが
少々不安で、最近は主治医
だけは見つけるように
している。

「77歳になちゃったヨ〜ン!!」(12−026)


  私は少数派(6)

    

     少数派はいつも小さくなって
      いなければならないが、
       これだけは多数派に属するのに
        肩身が狭い事がある。
     多数派に属するのに
      ”文字が下手”と云うことだけは
       ほとんどの人が卑下せねば
        ならない現象だ。
    私などは典型的な”みみず文字”
     しかも文字だけでその人を
      判断せよ、と云ったら
       間違いなく小学生と
        思うほど子供の文字なのだ。
    しかし私は立場上”サイン”を
     頼まれる事が多いので
      本当に困る。
    そんな立場に立たされて
     発見したのが黒いマジックで
      文字を書くより茶色の
       マジックで書くと
        少しはまともな文字に
         なると言うこと。
    そこで私はサインを頼まれると
     必ず茶色のしかもクレヨンで
      書く事にしている。
    一般的にクレヨンなどは
     小学生しか使わず、
      その文字を見たたけでは
       小学生が書いたと思う
        であろうと考えるだけで
         安心して書ける、そこが
          狙い目で、クレヨンを常に
           持ち歩いている。  
     文字がへたな人の方が
      圧倒的に多いのに何故
       肩身を狭くしていねば
        ならないのだろうかと思う。
    ただ、文字を書いて伝える場合
     最低限度人に読めるように
      書きなさいとは言っている。
    私自身もそれは守っている
     つもりだ。       

「77歳になっちゃったヨ〜ン!!」(12−025)


   少数派の私(5)

    

     幼い頃母に「いい子」になるように
      と云う枠にはめ込まれる教育を
       嫌と云うほど受けて
        それに反発し、反面教師と
         言う現象だろうか?
    何事によらず反抗するように
     なってしまい、世の中の
      常識に抵抗する人間に
       なってしまったような気がする。
     何事に対しても「えっ!!」って
      疑問を持つ事から始めるのだ。
    それが今私がもっとうに している
    「当たり前って本当ですか?」の
      出発点のように思う。
    世の中の常識、当たり前に
     ついて行けないのだ。
    本業の放送にしても
     常に「これで良いのか?」と
      と云う疑問が離れない。
    なんとか変えねばと思うので
     それにはまずぶっ壊す
      と云うことから始めるので
       誤解を招く結果になる。
    少数派のつらいところだ。
     ぶっ壊す積もりはない。
      新しいものを作るのには
       とりあえず前のものを
        取り壊さねばならにので
    壊すと言う事ばかりに
     気が行くので”壊しや”と
      思われるのだ。    
    今の社会は前からの遺物を
     背負ったままなので
      生半可な改革ではだめで
       まさに革命的な手法で
        事に当たらねばと思うから
         いけないのだろう。
    わかっているがどうにも
     ならに現実がはだかって
      いると言えないか!!!!

「77歳になっちゃったヨ〜ン!!!」(12−024)


  少数派の私(4)

    

    少数派と云うことで変わった
     体験をしたのは、戦後の
      混乱期、事情があって私は
       女学校に一年滞在した事が・・
     当時の文部省令で、全ての
      学校が男女共学にせねば
       ならなくなり、中学一年の時
     何処にも行くところがなくて
      一年間女学校で学んだのだ。
     ひとクラス35人の内
      男子は7人と云う具合、
       しかし、女の子は
        小学校からのクラス仲間
         だったのでそれほど
     抵抗はなかったが、でも内心は
      恥ずかしいと言う気持ちが
       あった事は事実だ。
        次ぎの年にはしっかり
         受験勉強をして
     ほとんどの男子は転校した。
      私もそのひとりだ。
       こうした経験のおかげで
        男女の区別を意識しなくなった
         ように思う。

「77歳になっちゃったヨ〜ン!!」(12−023)


  少数派の私(3)

    

     成績の悪い時代は先日も
      書いた通り、大学まで続いた。
       最初の試練は高等学校の時
        成績悪さに加えて出席日数が
         足りなくてクラスで二人
          二年生の時だが落第した。
      前のクラスの同級生の妹と
       同じクラスになり、バツの
        悪い事にその子と教室で
         隣り合わせの席になったのだ。
      もう一回は大学卒業の時
       数学の点数が零点で卒業
        まかりならぬと言う事に
          なり、すでに日本テレビに
           入社が内定していたので大変
     ゼミの教授からその先生に
      一升瓶を二本持参して自宅に
       あやまりに行けと言われ
        それはみっともない姿で
         あやまりに行きどうやら
    卒業が出来たと云うのが現実
     だった。少数派の苦い経験

「77歳になっちゃったヨ〜ン!!」(12−022)


   少数派の私(2)

      

      小学校の時から勉強は嫌い
       だったようだ。その理由は
        要するに暗記が苦手だった
         からだと思う。
      学校の勉強の基本は暗記と
       言っても良いだろう。それが
        苦手だとどうしても成績が
         悪くなる。通信簿の成績欄は
          悪い点ばかり、その結果
           段々勉強もしなくなる
     と云う循環作用が働いて
      益々勉強は嫌いになり、成績の
       悪い子の筆頭になって行った。
        まさに少数派だ。
      これはなんと大学を卒業する
       まで続いた。いわゆる低空飛行
        と云うやつだ。
      学期末が嫌だった。通信簿を
       もらう時がくると泣けてくる。
        主に母から怒られるのだ。
     母と顔を合わせると「勉強しなさい!」
      これしか会話がない。期末は
       食事の時間も「・・・・・」だ。

「77歳になっちゃったヨ〜ン!!」(12−021)


  少数派の私(1)

    

  この70年以上生きてきて
   そのほとんどの場合私は
    少数派を生きてきた
     と云っても過言では
      なかろう。
   幼児の時はおばあちゃんっ子で
    同じ子供とは遊べず
     家に閉じこもっている事が
      多かったし、幼稚園に
       入っても他の子供と
        馴染めず孤立しており
  小学校一年生の共同写真を
   見るともやしっ子だった。
    青白い顔で首に包帯を    
     巻いた弱わ弱しい子だった。