落第坊主の履歴書(657)
今まで私は生きるために働くという感覚で仕事をした事はなかったが、平成12年、山鹿市へ 移り住むのを機会にそれを実行した。と言うのも、町の活性化基金を利用しての店の開店と 言うが、店を運営して生活するというのは初めての体験だ。主たる職業が商店主と言う のも初めての体験だ。 しかも喫茶店&レストランを選んだのも、勿論集会所として活用したいという願望はあったが もうひとつの目的は、自分が日常食べるものをただにしようと言う魂胆だ。つまり、お客さん に出す料理の材料はすべて店の仕入れで済むわけで、自分の食べるものは言ってみればお客 さんが残したものを食べれば食費は浮くという計算だ。 ぎりぎりの生活の中で食費がただになると言うことはありがたいことなので、店を持つ ことにした。 商店主となるとほとんど一日中そこにいるわけで、こんな生活も始めてだった。いやでも周りの 商店主と顔を毎日合わせるわけで、それだけ親しくなる。年齢も取っているので商店会の副会長を しろと言われ、そんなこんなで商店会にとっぷりつかる生活になっていった。これも本業の放送に 役に立っていった。今まで見えないものが見えてきたし、より庶民の生活に入りこむ ことになったからだ。疲弊した地方の商店街の実情を体で知ることが出たのも良い体験だった。 平成14年からRKKラジオの協力で「こちら九州ラジオ村」が週一回の番組として復活する ことになり、また少し生活が変わってきた。