落第坊主の履歴書(659)

 山鹿市とのお付き合いは山鹿灯篭祭りをどうにかせねば?と言うところから始まった。
当時の青年会議所のメンバーと真剣に取り組むべく接触を重ねてきた結果がいつしか
移り住むということになったわけだが、いざ山鹿に住んでみると、地方独特のいろいろな
しがらみの中で思うようには進まない。


 そもそも山鹿灯篭祭りは夜祭りであり、上り灯篭と言って、各町内の灯篭を神社
(大宮時神社)に奉納することが主体だったのが、近年灯篭踊りが開発され、いつしか
そちらが主体になり、灯篭を奉納する行事は陰が薄くなってしまったのだ。
現在遠方から祭りに参加する人でどれだけの人がこの”上り灯篭”があることを
知っているか?  大宮神社のまつりでること、その大宮神社が何処にあるか
知っている人がどれくらいいるか?
 

 こうした事をしっかり整理する必要があるだろうと思うのだが、現在は
祭りの日が来たので、お客さまを迎えるべくやっているのが現状と言えるだろう。
”上り灯篭”の奉納は16日の深夜に行なわれるが、ほんの一部の人しか
見物に来ない。これではいけないというので青年会議所のメンバーが
神社ウラの敷地で人をとどめるべく催しをして盛り上げようとしているが
さっぱり・・・。ここの催しに10年近く参加させてもらったが、いつしか
声がかからなくなり、乗り込むのもどうかと思いそのままになっている。


 私としては山鹿に長く住んでいる人より真剣に山鹿灯篭祭りを考えていると
思っているが、どうしても通じない。灯篭踊りにしても、もっと気軽に
参加出来る体制を作るべきだと思うがどうにもならないでいる。
盆踊りと同じく誰でもとっさに参加出来るようにするくらいの思いきった
体制にしてもと思うのだが、頭に載せる灯篭(あれが一個何万円とする)
が高価なもののため、簡単にはいかないのだ。


 山鹿に住んでみてその問題の深さに愕然としている。
このままで良いはずはないと誰もが思っていると思うが、
誰も思い切った改革に手を出そうとしない。このままでは
ともするとすたれる一方だが、どうにもならない。


 各町内の人口が減っているので、灯篭を作る費用の負担が
重くのしかかり、さらにその灯篭の担ぎ手がいなくなって
奉納できない町内が続出している。どうするのだろう?