落第坊主の履歴書(679)


 かつて私は今の菊池市・旭志に”ほたるの里”が出来る時「これからはどこでも自然
回復を願ってほたるを育てようと言う運動が行なわれており、ともするとあちこちで
蛍が飛ぶようになり、企画としては立派だが、珍しい存在ではなくなり、多くの人を
集めて存在をアピールしようと言う初期の目的が将来薄くなる可能性を考えると賛成
するわけには・・・・」と発言した事でひんしゅくをかい、二度と旭志には来るなと
言われたことがあるのだが、ひょんなことからその旭志の”四季の里”と言う
レジャー施設に勤務する人からの依頼で催しの企画を手伝ってほしいと依頼があったので、
その件を笑い話しとして伝え、それを了解の元に仕事を引き受ける事にした。


 スタッフとはすぐに仲良くなり、全員で月一回会合を開きいろいろな企画を話合う
などしてわきあいあいの寄り集まりをし、私の仲間をここを気に入り、バーベキュー
などでよく利用するようになり、PR効果は出ていたので、これをより多くの
旭志の人との交流に結び付けたいと会合を拡大しようとしたときに問題が起こった。
某村会議員から「あいつを村(当時はまだ合併しておらず、旭志村と言っていた)へ
入れたのは誰だ! あんなやつとの会合などとんでもない。ましてあいつに金を
払うような事はまかりならぬ・・・」と言うお触れが出て。ただちにこの会合は
中止になった。私の知り合いに前の件を伝えてあったからよかったが「本当に
すみません」と誤られたが「やっぱりそのようになりましたネ」と・・・・。


ローカルにはこんな事で挫折する機会が一杯あることを身を持って体験した。
実力者の存在と言うのが大きいのだ。抗議をしては、と言う提言もあったが、
今さらそんな事を問題にすると逆に恥になることがあり得るということで
会合を解散することにした。<*あんなこと こんなこと(129)

 8月と言ったら我我の世代は”戦争”と言う事が頭に浮かぶ。空が真っ赤に
染まる空襲の夜、大きな穴が開く爆弾の痕、ひん曲がった工場の鉄骨、焼夷弾で
燃える家、どれも鮮明に記憶されている。


 そして悲惨な疎開の思い出、しかし、こればかりは今思うから悲惨なので
当時としては当然のこととして生活し、結構楽しくやっていたのだ。
と言うのも、規律正しい生活、目上の人を尊敬する心を養い、質素な生活を
きちんとこなす、今の混乱しただらしない生活、無駄なアネルギーを平気で
使い、便利にあぐらをかている生活を考えると、集団性活の疎開で得た経験は
尊いものであったと思うのだ。
 戦争はばかな事だと思うが。その当時の生活で学んだ事は決してマイナス
ではない部分が結構ある。これからのせいかつ、子供を教育する上で貴重な
体験だった。それをこれからの社会にどう反映させればいいか・・・・・