落第坊主の履歴書(680)

 平成16年の山鹿での生活はまあまあだが、相変わらず低空飛行の生活だった。店での会合は
”昭和を語る会””どぎゃん会”などと言う名目で有志が月に一回集まっていろいろな問題を
わいわいがやがや話し合う会を続けていた。その他ラジオを通して知り合った仲間からいろいろな
会合へのお誘いがあり、JA(農業組合)などの会合、シニアサイクリングの集まりなどで
講演をすると同時に、そこに集まった人たちと交流する機会があり、どんどん輪は広がった
行く。
  しかし収入は微々たるもので、機会があるごとに「何かアルバイトがあったらしますよ」と
いろいろなひとに声をかけていたら、ある日小国町のおそばやさんから手が足りないので来ませんか?
と話があり、出掛ける事にした。


 山鹿から菊地を通り、山を越えて中津江村を抜けて小国まで、車で片道約1時間、11月から
祝祭日前後とか、土曜日、日曜日が忙しいので、その日に来てくれと言うので、せっせと通った。
日当5000〜6000円くらい、開店から夕方6時くらいまでふる回転だ。店員んのアルバイトだから、
お客さんの接待は勿論、注文の品をテーブルへ運ぶこと、皿洗いと、超満員の店で途中休む時間が
ないほど、店員は交代で昼食を食べると言う忙しさだった。その間は立ちっぱなし、かなりきつい
仕事であり、おまけに帰り道は秋だったので、7時を過ぎると真っ暗、帰り道はほとんどが山道
(ウラ道)なので非常に危険、そんな時間になると山鹿まで1時間では帰られない。しかし収入には
かえられないので雪が降って山道が危険になる前まで続けた。