落第坊主の履歴書(689)

 平成19年はやっとパソコンにのめり込み始めた年と言ってもよいだろう。
とは言ってもまだまだで、写真を送信する事すら出来ないしたいしたことは
ないが、このブログを始めたのが6月13日からだ。
  たまたま私の好きな数字13になった。計画的にこの日から始めたわけ
ではないがそうなった。この年の7月に例の新潟中越沖地震が起きた年だ。


 なんとなく新しい中国の姿を見てみたくなり、この年は香港と大連に旅を
することになった。イギリスの統治下から中国に変わって町の様子がどう
変わって行くかを知りたいがためだが、確かに中国人の姿が多くなった。
かつては西欧民族の顔が目立ったが、今はその姿は少ない。町の活気の面でも
なにか落ちついてきたような気がする。あいかわらずまだ町はビルの建設ラシュで
ほこりっぽいが、逆に空きビルの数も多くなっている。


 大連のほうは日本と中国が国交回復された年依頼の訪問で、町があまりにも
変わっているのにびっくりした。私が行った当時はまだ町の交通機関は馬車が
主で、まちは馬糞の臭いが漂っていたし、石油を汲みあげる井戸ポンプが
まちのあちこちにあったが、そんなものは何処にあるかわからないほど
町は変わっていた。
   まるでアメリカのどこかの都市に来たのではと思うほど高層ビルが
立ち並び、道路もすっかり整備され大都市だ。大連港も変わったとは言え、
日本への引き揚げ船が出たと言う桟橋は一部その姿を昔のままにとどめて
いたのが印象的だった。
 たった二つの中国の都市への旅だったが、いかに外国の資本が入りこんで
いるかがわかる。変貌する中国と言われるが、そのスピードはかつての
日本の姿とだぶる。