何故か私は長いこと叔母さんの家に預けられていた。五反田の家から杉並区の
阿佐ヶ谷と言うところに移転したのだが、その時も私もいっしょに移り住んだ
ので、品川の森村学園・小学校の通うのは大変なことになった。
中央線で新宿まで行き、そこで乗り換えて山手線に乗り、品川へ行くのだが
超満員電車、子供の私では大人の中に入ると顔まですっぽり浸かる格好になり
息苦しくて乗っていられない。そこで仕方なく電車の外にぶらさがって乗って
行った。勿論こんな危険なことはないのだが、当時は平気でそれをやり、毎日
冬の寒い日でもぶらさがり乗車をやっていた。見つかれば罰せられるにきまって
いるが、どうにもならないと同時に子供にとってはスリル満点でやめられなかった。
今考えると恐ろしいことをやっていたものだと思う。
こんな通学だから家と学校を往復するのに2時間はたっぷりかかる、毎日
こんな生活だから体はかなりくたびれていた。小学校6年生の生活で叔母は
きびしくそんな中で「勉強!勉強!」とせっつかれたいた。勉強嫌いの私と
してはつらい毎日だった。落ち着きがない子と言うことで、謡(うたい)の訓練も
受けさせられ、文字が下手だったので習字も習わされ時間に追われた
生活だったのを覚えている。しかし、今になってみればいろいろとそれが
役に立っているなと思う。