ラジオ村・村長の旅日記(039)

 昭和41年のヨーロッパ取材旅行は大変だった。フアション界を視察することに
於いてはそれほどの問題もなかったのだが、テレビ取材で一緒したカメラマンが
大酒飲みで、これが飲みすぎると翌日手に震えがきて撮影がおぼつかないのだ。
疲れと、酒の飲み過ぎで結局キャンセルせざるを得なくなってしまった。
  こうなると問題は番組の進行役にと連れてきた女性は全く仕事がなくなるので
日本に送り帰えそうとしたが、考えてみると男性だけでなく若い女性(確かその
女性は24〜5歳だったと思うが)の目で物を見てもらおうと本社(広告代理店)
と話し合って残ってもらう事にした。
  こうして総勢10人の取材班は二つに別れ、私と進行役の女性だけが別行動を
取るというはめになった。これがフランス・パリに着いて五日目のことだ。もう
すでに一週間日程を無駄にしてしまっていた。とにかくホテルの手配をやり
直して、われわれ二人はまるで新婚さんのような組み合せで旅をする事になって
しまった。年齢も私、32歳、彼女が24〜5歳とくれば、どう見ても新婚さんに
見える。おまけに二人で旅をするので、出張旅行とは言え費用はあまりない。
わずかな費用で廻るとなる二部屋を確保しての旅は無理だ。それに、一人部屋で
もし危険があったらばと二人部屋を取らざるを得なったのだ。
  そもそもこの進行役の女性は私の知り合いの方のお嬢さんで万一のことが
あったら私もそのお父さんに顔見せ出来なくなるので、二人部屋に泊まろうと
絶対に手を出すわけにはいかない関係だった。(正直若い身にはつらい立場
だったが・・・)とにかく時間をうまく使ってヨーロッパを廻ることにした。
さて、どうなったか・・・。