ラジオ村・村長の旅歴史日記(116)

  昭和50年7月13日〜14日にかけての
長野県・軽井沢への旅は私にとってはなつかしい
旅なのだ。と言うのも戦争中私はここに約1年
くらい疎開をしていた場所なのだ。
  今で言うなら旧軽井沢のはずれの小さな
牧場の跡(当時その牧場には牛はいなくて
空き家になっていた)に住んでいたのだ。
  今回行ってみると別荘地として整備され
売りに出されていた。隣りに高松宮様の
しゃれた洋館建てに別荘があったがそれも
見当たらなかった。すっかり様子は変わって
いた。
  当時街に出るには馬車だったが、子供の
私は山から丸太を運んでくる荷馬車の後に
飛び乗って行ったものだ。これだとタダで
街に行けるからで、帰りも荷馬車の
叔父さんに頼んで乗せてもらって帰って
きたものだ。
  当然のことながら街はすっかり変わり
若者の街になっていて当時の面影は
ほとんどない、これにはがっかりした。
高級別荘地にもどんどん若者が貸し
自転車で乗り入れ、かすかにそうした
道路に火山灰が積もっているのが昔と
同じかなと思える風景だった。
  私が滞在していた当時はまるで外国
かと思えるほど他国の人が多く住んで
いた。聞くところによると、戦争中
なので、外交館に勤める人たちの避難
場所になっていたようだ。その証拠に
ここには空襲はなく、爆弾も落ちる
事はなっかたのだ。それも知らずに
私たちは住んでいたのだが・・・・。