ラジオ村・村長の旅歴史日記(117)

  昭和50年7月19日から20日にかけて
生まれて初めて富士登山の挑戦した。私が
丁度40歳の時だ。
  当時は東京に住んでいたので静岡県富士市まで車で行き、富士山5合目までは
車で行かれるが、そこからいよいよ山道に
入るわけだが、山道なんて言うものではない。
木など一斉なし、砂と岩だらけの道を登るのだ。
天気には恵まれ、一応道らしいものはあるので
それに沿って登るのだが、この日は土曜日
日曜日にかけてだったのでかなりの人が
挑戦していた。行列とまではいかないが
それに近い状況で、右に左に曲がりながら
とにかく8合目の山小屋まではそれほど
苦労もなくすいすいと登る事が出来た。
  さすがにここまで登るとはるか太平洋
までくっきりと見えすばらしい景色だった。
ここで少し休んだのがいけなかったのか
ここから先が空気が薄いせいもあって
だんだんきつく感じるようになった。最後の
最後は急なというか、垂直な斜面を登ら
ねばならないので、クサリに頼って登る
のだが、混雑をしていて順番に登るのだが
みんな腰が上がらないのだ。
  いよいよ私の番がきたのだが、やはり
息がきつくてなかなか登れない。後が
つかえているので早く登ってあげないと
と思うのだがお尻がついてこないのだ。
このクサリを通過すると頂上なのだが
それがなかなか、やっと這うようにして
たどり着いた。
  生まれてはじめての富士山の頂上に
立ったのだが、初めは景色を見るどころ
ではなっかった。5合目から頂上までは
6〜7時間ぐらいで登ったと思うが
下りは引力に引き寄せられるように
早足になり、駆けるように降りたのを
覚えている。自分では急ぐつもりは
ないのだが足が先に進むのだ。こうして
無事に富士登山は終了した。これ以上の
ものでもなく、あっという間の登山だった。
他の山に登った時の方が山に登ったと
言う気がしたが、富士山はその点あっけ
なかった。また特に強い印象はないのだ。
日本一高い所に登ったと言う満足感は
あったが、それだけだ。景色が単調
だったせいもあるのではと思う。普通の
山なら林を越え、それを抜けると景色が
広がり、やっと高い所に来たぞと言う
変化があるが、のっぺらぼうの岩山
とでも言えるもので、遠くから見る
あのあこがれの富士山とまっるきり
違うのだ。そういう意味では富士山は
登るより見るものなのかも知れない。