ラジオ村・村長の旅歴史日記(119)

 昭和51年からは毎週一回新潟行きの旅が
始ったのだ。と言うのは、実は私とラジオの
付き合いは東京のニッポン放送から始まった
のだが、これはあくまでも実験と言うか
助走みたいなもので、本格的には新潟放送
ラジオのワイド番組を引き受けた時からで
まさか誘われるとは思ってもいなかったが
当時私は地方のラジオ局と電話で結んで
週一回おのおのの局に東京レポートみたいな
ものを生放送で送ったいたのだが、その縁で
新潟からお誘いがあり、やってみるかと言う
ことになり、新潟通いが始まったのだ。
  土曜日の昼間のワイド番組「ハロー・ジャンボ
サタデー」と言う5時間近くの番組で、その
パーソナリテイーを引き受ける事になったのだ。
当然新潟の人間ではないし、新潟を全く知らない
人間が受け持つのだから大変だ。そればかりか
有名人とかタレントでもないので全く知られて
いない人が突然ラジオの現れるのだから、
どのようにして親しんでもらうかと言うことから
考えねばならない。こんな状態で私を私を採用
するデイレクターもたいしたものだと思ったが
とにかくやってみろと言うので引き受ける事に
した。
  さて、小松と言う本名では堅ぐるしいのでは
と言う事になり、いろいろ考えた末、
”あいうえお”にしよう。これなら日本人で
知らない人はいないし、簡単だし、しかし
ひらがなではちょとと言う事になり
”アイ・ウエオ”とカタカナで表現しとうと
しかもアイで切ると名前になると言う事で
アイ・ウエオと決定、ここからアイ・ウエオの
生活が始まる事になった。