ラジオ村・村長の旅歴史日記(121)

  昭和51年からの新潟通いで分かった事は
当時の総理大臣・田中さんの古里が新潟で
かなりの回数帰られることがあるので、
いつ帰ることがあってもお付きの人、秘書
など4人くらいの席はいつでも座れるように
特急”とき”のグリーン車のボックス席を
予約してあるのだ。したがってこの席は
田中さんが使わない時はいつも空いている
と言う事になるので、普通席が満席の時は
車掌に申し出て席を取ってもらわねば
ならないのだが、この席は自分で勝手に
座っていて車掌が廻ってきたら「不意だった
のでとりあえずここに座っていたのですが
何処か席が空いていませんか?」と問うと
「ここでいいですよ」と言ってくれる席
なのだ。それがわかってどうしても予定の
列車に乗れない時はいつもこの席を
目当てに特急に乗って新潟へ向かっていた。
  また毎週の事なので、車内販売の弁当に
飽き飽きしてしまい、わざわざ日本橋の
有名な店の”茶きん寿司弁当”などを買いに
行き、列車に持ち込んだりもしていた。
なにしろ何時間という旅なので腹が減る
ので、食べ物には苦労した。
  また今の季節(冬)は「トンネルを出ると
雪国だった」の言葉通り、清水トンネルを
抜けるとまさに景色が一変し、雪景色に
なるのだが、それも普通ではない。雪深い
地帯で除雪をしなければならないので、
その雪を捨てる所がないので、線路脇に
捨てる結果たまりにたまって線路脇が
雪の壁になってしまっているのだ。
したがってトンネルを出たはいいが、
今度は雪の壁なのだが、まさに雪の
トンネルと言ってもよい状態、列車の
窓からはでなにも見えないのだ。
トンネルを出てからかなりの長い時間、
真っ白な世界が延々と続くのにはびっくりした。