ラジオ村・村長の旅歴史日記(122)

  昭和51年からの新潟通いは前回にも
書いた通り、本来なら田中角栄総理が
乗って座るはずの座席に座っての新潟
行き、まさかこんな旅をするとは思っても
みなかった。
  新潟でのラジオのワイド番組での仕事は
楽しかった。ニッポン放送の失敗があるので
心配だったが、デレクターに助けられて
いろいろな事に挑戦出来た。また、取材で
いろろ県内を廻れたのもよかった。
鮭の南限と言われる、村上市で採りたての
鮭を刺身で食べたり、それぞれの川で採れる
川蟹を食べたりなど、普通ではなかなか食べ
られない体験をした。
  更に日本海側だからこそ食べられる甘エビ
の刺身もおしかった。これもなんとか東京に
持ち帰り、食べてみようと、スッタフに
頼んで、当時はまだ冷凍設備があまり
よくなく、発砲スチロールにドライアイスや
氷を入れてもらい列車で運んだのだが、
思うような味では食べられなかった。
  これは仙台の”笹かまぼこ”でも、冷凍
パック詰めを買って帰ったのだが、味は
落ち、長野の高菜もやはりだめで、当時の
技術では、東京まで持って帰るのは無理が
あった。やはり当地のものはそこで
食べないとだめだと、つくずく思った。