ラジオ村・村長の旅歴史日記(123)
昭和52年4月からは富山の北日本放送 のラジオ番組「それ行けサンデー」の パーソナリテイーを引き受けるように なったので、週末は金曜日に東京から 特急”とき”で新潟へ向かい、土曜日は 新潟のラジオで番組をこなして、その 夜は富山の駅前にある東急ホテルに 泊まり、次ぎの日の朝、特急で富山へ 移動し、日曜日は富山でラジオの仕事を やって富山から次ぎの日飛行機で 羽田の帰るという旅を続けていた。 東京では雑誌社、新聞社のコラムや いろいろな記事を書いていたので、 こうした旅を利用しては長野県を取材 したり、足を伸ばして大坂へ廻ったりと ほとんど東京にはいない生活だった。 旅が私の人生そのものと言う感じ だった。東京でも原稿を書かねば ならないので、ホテルの部屋を予約 してそこに閉じこもり、原稿が出来ると 雑誌社、新聞社へ直行せねばならず、 疲れ果ててホテルに泊まる事も多かった。 時間に追われると金曜日に新潟へ向かえ ない事があり、仕方なく、金曜日の夜行 寝台列車で新潟へ向かうことも度々あった。 特急、寝台車が事務所がわりみたいな もので、その中で新聞を読んだり、原稿を 書くなんていう事もやっていた。