ラジオ村・村長の旅歴史日記(137)

  昭和53年の8月から9月にかけての中国東北部の旅
(旧満州)で大連にも行ったが、当時の大連は今とは
まるで異なり、町には牛の糞があちこちに落ちていた。
荷物を運ぶにも移動にも牛舎が中心で、石油を組み
あげるポンプも今のコンテナーを積みあげるような
形のもので、まちの中にあり、音を立てて動いていた。
庶民の家は粗末なもので、コンクリートで囲まれた
部屋といってもよいもので、せいぜい3坪くらいの
薄暗い部屋に一家7〜8人が暮らしていた。それでも
毛主席のおかげで、前は家などなく木の下で
雨をしのいで暮らしていたが、こうしたコンクリートの
家が与えられ天国のようだといっていた。
これが当時の現実だった。学校はまだ赤衛兵教育が
なされていた時代で、子供たちは首に赤い布を
巻いていた。
  衛生教育に力を入れているので蝿一匹おりません
と言うので試しにトイレに入ってみたが、確かに
その通りだったが昨日私たちのために消毒をした
と言う感じで、消毒液の臭いがぷんぷんしていたし
こっそり町の中のトイレに入ってみたが汚く蝿が
うようよしていた。見せるために急遽体裁を保った
と言うところだ。