ラジオ村・村長の旅歴史日記(141)
昭和54年2月のメキシコ行きは貴重な体験だった。 たまたま富山の放送局でテレビの仕事をしている時に 知り合った人の兄弟がメキシコのいるので会いに 行くというので、それに便乗させてもらっての旅行だった。 当時私は富山でローカルラジオとテレビの仕事をして いたので、メキシコの入る日本人の生活を取材しようと 言う事になり、出発することにしたのだ。昨日も 書いた通り、単独で行くとなるとかなりの費用がかかるが 彼らとツアーのもぐり込んで、なおかつ現地ではかなり 自由に行動させてもらう条件のツアーだったので参加 した。それに、知り合いがいるということは 普段ではなかな見れない庶民の生活が見れると思い そうした目的を達成するにはもってこいの旅行だったのだ。 メキシコ市内観光は一般の人々と一緒に参加したが ここでもう失敗をしてしまった。途中で休憩のため レストランに入ったのだが、喉が渇いたので”ジュース”を 注文したのだが、とにかくン度が乾いていたので、出された ジュースを一気に飲んだのがいけなかった。 どうしたわけか、飲んだとたんに体がかっかしてきたのだ。 「ジュースを飲んだらなんか体がかっかしてきたんですけど?」 と添乗員に訪ねたら「なんていって頼みましたか?」と言う ので「オレンシジュースを・・・」と。そうしたら添乗員曰 「オレンジジュース」とこちらではテキーを垂らしたものが出て きます、と言うではないか!オレンジジュースを飲みたかったら 「生オレンジジュースと頼んでください」と言うではないか! 大失敗、しばらくの間、顔は真っ赤になるし、息苦しいし、 国が違うと習慣が違うと言うことを知らされた場面だった。