ラジオ村・村長の旅歴史日記(141)

irajiomura2010-02-14

  昭和54年2月のメキシコ行きは貴重な体験だった。
たまたま富山の放送局でテレビの仕事をしている時に
知り合った人の兄弟がメキシコのいるので会いに
行くというので、それに便乗させてもらっての旅行だった。
当時私は富山でローカルラジオとテレビの仕事をして
いたので、メキシコの入る日本人の生活を取材しようと
言う事になり、出発することにしたのだ。昨日も
書いた通り、単独で行くとなるとかなりの費用がかかるが
彼らとツアーのもぐり込んで、なおかつ現地ではかなり
自由に行動させてもらう条件のツアーだったので参加
した。それに、知り合いがいるということは
普段ではなかな見れない庶民の生活が見れると思い
そうした目的を達成するにはもってこいの旅行だったのだ。
メキシコ市内観光は一般の人々と一緒に参加したが
ここでもう失敗をしてしまった。途中で休憩のため
レストランに入ったのだが、喉が渇いたので”ジュース”を
注文したのだが、とにかくン度が乾いていたので、出された
ジュースを一気に飲んだのがいけなかった。
どうしたわけか、飲んだとたんに体がかっかしてきたのだ。
「ジュースを飲んだらなんか体がかっかしてきたんですけど?」
と添乗員に訪ねたら「なんていって頼みましたか?」と言う
ので「オレンシジュースを・・・」と。そうしたら添乗員曰
「オレンジジュース」とこちらではテキーを垂らしたものが出て
きます、と言うではないか!オレンジジュースを飲みたかったら
「生オレンジジュースと頼んでください」と言うではないか!
大失敗、しばらくの間、顔は真っ赤になるし、息苦しいし、
国が違うと習慣が違うと言うことを知らされた場面だった。