ラジオ村・村長の旅歴史日記(179)

  昭和60年4月からは熊本の地元のラジオ局
RKKラジオに再び復帰することが出来、より
県内を知る必要があり、時間の許すかぎり
県内を廻るように「した。
  その番組は「こちら九州ラジオ村」と言う
番組で月曜日から金曜日まで毎日午後2時
から5時30分までという長時間の
ワイド番組で、当時はより多くの人にラジオを
親しんでもらおうと言う意図の元にスタート
しているので、番組に多くの人に登場して
もらうために、マイクを持って県内を廻る
ようにした。それもなるべく遠いところ
からと言うわけで、本渡市(天草にある)に
でかけることにした。
  当時はここは県内でも転勤族の多いところで
会社の支店も多く、単身赴任族を抱えている
ために、そうした人を相手のめし屋がかなり
あった。そのひとつ”勘べい”と言うめし屋に
飛び込んだところここが大のラジオフアンで
いろいろ話を聞くことが出来、ここを起点に
主張族などを含めて、今後いろいろと交流
しようと約束をして帰ってきた。
  とにかく少しでも多くの人と知り合い、
それをきっかけにラジオフアンを増やそう
と言う魂胆だったので必死だった。その
ために番組内に”お誕生日おめでとう”
コーナーを作り、毎日紹介するように
していたし、こうして外でお会いした人にも
誕生日を教えてもらい、積極的にその数を
ふやし、自分の誕生日の時にラジオを聞ける
ようにしようと努力した結果、これはうまく
いった。こうして聴取者からの便りをもらう
ようにしてきっかけを作り、番組はお陰様で
どんどん浸透していった。