ラジオ村・村長の旅歴史日記(189)
昭和61年12月下旬、水上村の建設 会社の男の人から、忘年会をやるので来ま せんか? と言うお誘いがあり、その建設 会社は森林道路を建設しているので山奥の ためラジオ以外に楽しみがなく、仕事を しながら私のラジオ番組(こちら九州 ラジオ村)を聞いているということ なので、敬意を称して会いに行こうと 訪問することにしたところ、途中 湯前町のダンスパーテイーのグループが 家にも立ち寄れと言う「ことで捕まる などのハプニングがあって、両方の 会合に出るはめになった。 水上村のグル−プは当然のことながら 男ばかりのグループでしかも大酒飲み それは賑やかな宴会だったが、ダンス パーテイーの方も「クリスマスパー テイー」と言うことで大勢のお客さん で大賑わい、多くの人と交流して 深夜開放され仕方なくその晩は水上村 の旅館に泊まることにして引き上げた。 こうして何かのきっかけを求めて 県内を旅をして多くの聴取者と 顔を合わせての付き合いが広がって いった。今でもこうした人々とは 付き合いが続いており、それが 私のラジオのフアンとしてお付き合い いただいている。よく聴取率調査 などというものがあるが、これは あくまでも科学的調査であって それなりの結果だが、仮にここで 聴取率ゼロという数字が出ても 私の場合はかなりの人が聞いて いることになり、今もたくさんの 便りを手にしてうれしく思っている。 今後もこうした旅を積み重ねて、 聴取者を大事にしてゆきたいと 思っている。