ラジオ村・村長の旅歴史日記(192)
昭和62年の1月の免田町(現あさぎり町)との 付き合いは大変な方向へと進んで行った。 とにかくその年の4月に毎年恒例の「免田 祭り」と言う町をあげての祭りがあるのだが この年から”明るい町”と言うイメージに する祭りにするんだと決めている。しかも 僅かの予算でそれを実施せねばならない と言う事で、いろいろ討議をした結果 宮崎のようなフラワーカーニバルは 諦めようということになり、それでは どうするか、と討議が始まった。と言っても 3ヶ月もない、しかし人間窮すれば考え つくものだと思った。役場の人からと提言 だったのだが、住民が盛り上がらねば いくら”明るい町”と言ってもそうはなら ない。近くに球磨農業高校があるので、 その生徒の協力を得て、町民みんなで チュリップを育てて、それを会場に飾って ”チュリップ祭り”をしようではないか と言う事になったのだ。 それからが大変だ。大きなプランター を購入し、それにチュリップの球根を 植えて、一軒、一軒配り、それを責任 持って育てってもらおうと言う発想 なのだ。役場でも空き地にビニール ハウスを立ててそこにチュリップの 球根を植え、職員もそれを育てることに なった。