ラジオ村・村長の旅歴史日記(193)

  昭和62年1月からわずか三ヶ月の間に
祭りの準備をせねばならない事になった。
私がラジオの仕事をしていたのがきっかけ
だが、ラジオとの直接の関係はなく、
個人的に免田町の役場の人々との
係わり合いの中で進行する事になったのだ。
  何度も断るとうり、祭りの予算はあまり
ないので、知恵で勝負と言うわけで
始まったのが、住民をまきこんでの
チュウリップ作りだった。
  役場の人の提案でプランターチュウリップの球根を植えて、その
プランターを一軒、一軒の家に配り
管理をしてもらって育てもらおう
と言う作戦だ。突然の事なので
みんなびくり「町を明るくする運動
に協力を!・・・」と言う名目なので
反対はしずらい。積極的に受け入れる
家もあれば、仕方なく置かせる家も
ありとばらばらだが、とにかく役場の
職員が一軒、一軒の家にプランターを
配った。まだ寒い時期なので育てる
のは正直大変だ。したがって役場の
職員も枯れる事を心配して定期的に
それらの家を点検に行かねばならない。
こうして役場の人間と住民の間は自ずと
近い存在になっていった。これも役場の
指導者の狙いだったようだ。