ラジオ村・村長の旅歴史日記(199)

  昭和62年球磨郡免田町(現あさぎり町)の
民家に泊まった時のことだ。誘いもしないのに
前の晩集まった人の中から近所の床屋さんの
ご主人が私とたまたま朝の散歩で顔を合わせた
のがきっかけで、私が泊まっていた家に朝ご飯
を食べにやってきたのだ。
  当然そこの家では私を含めたそこの家族分の
朝ご飯しか用意してなかったのでひとり分の
味噌汁が足りなくなってしまったのだ。
  その時だ、その家の奥さんが突然台所の窓を
開けて隣りの家に「奥さん!味噌汁ある?・・」
と言うではないか・・・。隣の家もたいした
もので「あるよ・・」と答えるやすぐ味噌汁を
持ってくるではないか。しかも自分もいしょに
こちらの朝ご飯に語るといってやってきた。
話を聞くとこんな事はごく当たり前のことで、
びっくりすることではないですよ。と、平然
として答えるのだ。その通り、以前はこうして
みんな助け合いながら暮らしていたのだ。味噌
がなければとりあえず隣りから借りるなんて
当たり前、東京でもやっていた。朝ではまだ店
も開いておらず、そうしないと間に合わない、
それが人間の生活だったのだ。ローカルへ
来てそれを思い出させてもらった。だから
こそこうして民家に泊まることによって
いろいろ考える材料を得るのでその後も機会、
時間の許す限りこうした旅を続けた。