ラジオ村・村長の旅歴史日記(224)
昭和54年に熊本市へ来て、お米を店から 買うことがなくなった。当時の菊陽町の4H クラブのメンバーの青年の家から米を譲って (と云っても、農協へ出荷する値段で買う) もらっていたのだが、これがおいしいのだ。 それ以来、米は友達の農家から買うように なっていった。 なにしろブランド米なんてこだわらない。 農家から直接買うお米は米穀店から買う お米とは全く違い、これをやるようになって からは自分が食べる米は必ず農家から調節 買うことにしている。 こんなに近くに農家がありながら、どこかを 廻ってくるお米を買う気がしないのだ。 また、当時は地産地消などと云うことばは なかったが、隣りで出来た米を食べるのが 一番良いにきまっていると思ったからだ。 こうした体験から是非近くで出来た米を 食べようではないか、と言う運動をやっていた。 そうした私の所においしい米が出来たので 来てほしいと連絡があり出掛けたのが水上村だ。 棚田で出来る米を収穫するので来ないかと 言うので出掛けることにした。 しかもこのお米を一括して人吉市の 藤木米穀店が扱うと言うではないか! 今までそんな話は聞いたkとがなかったので 面白い試みだと思い賛成した。当時はまだ こんな売り方をしては法律違反になると 言う時代だった。しかし水上村もはっきりと 水上村産とレベルを貼って販売すると言う ではないか!わたしはこれが本当の姿だと 思い協力することにし、現地に向かった。