ラジオ村・村長の旅日記(028)
二度目の海外取材旅行は昭和40年ころだと思う。私が東京12チャンネル に勤務していた時だ。かつてNHKラジオで放送されていた「鐘の鳴る丘」 と言う番組のモデルだった男の子が成長してアメリカへ留学し、そのまま 残ってこうとう学校の先生となり、いざ日本からお嫁さんをもらおうと した時に事件が起こったのだ。 アメリカの移民法にひっかかり、簡単には彼女をアメリカに連れて これない事がわかり、先生がかわいそうだと生徒が立ち上がり、なんとか 早くお嫁さんを入国させようと大統領に直訴下した、と言うニュースが 伝わり、生徒たちのかつどうが地元の新聞にも大きく取り上げられたのを きっかけに「よし、この子を取り上げよう・・・」と言うことでアメリカへ 飛び立つことにした。かれはシカゴの北、ウイスコンシン州に住んでいたので 当時はシカゴへにの直通便がなっかたので、サンフランシスコ経由で羽田を 飛ぶ立った。 最初の着陸地はサンフランシスコで、着いたのは夜もかなり遅くだったし とにかく初めての土地で右も左もわからず、食事を取るにもホテルの近くの 食べ物屋しか思いつかず、お腹がすいていたので、薄暗いレストランに 飛び込んだ。カメラマンとの二人旅だったが、彼はアメリカへ来たのだから ステーキを食べようじゃないか、と言うのだ。私はどちらかと言うと 肉より魚の方が好きだったが、そこはステーキハウスだったので仕方ない。 彼は焼き方はレアー(生に近い肉)と言うではないか? とんでもない、 血がにじみ出るような肉など見るだけでも恐ろしい。そこで私はしっかり 焼いてもらおうとウエルダンで頼むことにした。なにしろ薄暗い店で、 少々陰気くさかったが、カメラマンはビールを頼み、わたしは酒に弱いので ジュースを頼む事にした。 ここで出てくるそのコップの大きさにびっくりだ。日本の1.5倍くらいの コップに並々とジュースが注がれているではないか! しかもオレンジの 生ジュース、これには感激した。とにかく部屋が暗いので、物がはっきり 見えないのだ。待つこと20〜30分、腹が減っているのでその時間の 長いこと・・・・、