2010-04-01から1ヶ月間の記事一覧

あんなこと こんなこと(307)

どうやら春らしくなってきました。 ローカルに暮らしていてもこうした 光景にぶつかると、なんとなく なつかしく落ち着くものです。 これは玉名市・横島町で見かけた ものですがたまたま天気がよかった ので青空に映えていました。 またここは干拓地なのでこ…

ラジオ村・村長の旅歴史日記(200)

昭和62年2月下旬、阿蘇郡・的石地区の 住民の集いからお誘いを受けた。28日の 夜、公民館で行なわれた集いにはかなりの 人が集まった。 この一帯は酪農農家が多く、若い頃に 北海道へ研修に行く習慣があるそうで、 長期に渡って滞在するというので、そ…

あんなこと こんなこと(306)

先日も書いたが、こいのぼりのシーズンが やってきた。あちこちでこいのぼりの姿を目 にする。青空に勢いよく泳ぐこいなぼりを 見るとこちらも元気をもらう。少子高齢化 などといわれているが、あちこちに元気な 子供が生まれているではないか・・・。 一匹…

ラジオ村・村長の旅歴史日記(199)

昭和62年球磨郡免田町(現あさぎり町)の 民家に泊まった時のことだ。誘いもしないのに 前の晩集まった人の中から近所の床屋さんの ご主人が私とたまたま朝の散歩で顔を合わせた のがきっかけで、私が泊まっていた家に朝ご飯 を食べにやってきたのだ。 当…

あんなこと こんなこと(305)

ここのところ不順な天気が続き、暑くなったり 寒くなったりで、なんと41年ぶりに日本の 北の方では雪が降ったとか。 しかしやはり春ですよね、田んぼには 蓮華の花が・・・ この”蓮華”は田んぼの肥料になるそうで あちこちの田んぼで”蓮華”が花盛りです。 …

ラジオ村・村長の旅歴史日記(198)

昭和62年の免田祭りをきっかけに 免田町の人々との交流が活発になっていった。 老夫婦の飲む集まりがあるから泊まりがけで 来ないか?と言うお誘いがあり、参加する事 にした。 こうした付き合いがラジオの番組の上で 非常に役立つので私は積極的に参加す…

あんなこと こんなこと(304)

玉名市・横島町の「旧干拓施設」が国の 重要文化財に指定される事になったと言う ので早速出掛けたきた。 「海の万里の長城」とも呼ばれるこの建造物 このお陰で農地が整備されたのだ。 こんな記念碑も残る横島町 江戸時代の藩事業から昭和20年代に 始まっ…

ラジオ村・村長の旅歴史日記(197)

昭和62年4月の免田町のフラワーカーニバル 俗称”チュウリップ祭り”は他の花は農業高校の 生徒の協力できれいに飾る事が出来たが、肝心の チューリップは天候不順のため花のつきが悪く きれいに咲いたプランターはほんのわずかだった。 それにしても役場の…

あんなこと こんなこと(303)

先日の台湾旅行で”九分”(きゅうふん) という、昔、金の採掘場所で炭鉱夫が住み 男どもが遊び歩いた町だったところが 今や観光地としてよみがえり、昔の 町並みを生かして、その古い家を料理屋 にしたり、おみやげ屋、雑貨やとして 改装して多くの観光客を…

ラジオ村・村長の旅歴史日記(196)

昭和62年4月の免田町の フラワーカニバル会場に住民から 持ち込まれたチュウリップの プランターで、花が咲いて いるのはほんのわずかで、ほとんどの プランターに花はなかった。 大変な事になったのだ。球球磨 農業高校から持ち込まれた花は きれいに咲…

あんなこと こんなこと(302)

やっと最近私は花に関心を持つように なり、その時々の花に目が行くように なったが、ここのところ”はなみずき”の 花があちこちで見事に咲いて楽しませて くれている。 私のインターネット・ラジオの番組の アシスタントをやってくれている ”つばきさん”の所…

ラジオ村・村長の旅歴史日記(195)

昭和62年4月4日(土曜日)、5日(日曜日) に渡っていいよ免田町の「フラワーカーニバル」 俗称”チュリップ祭り”が行なわれる日が やってきた。会場は役場の隣りの総合グランド だったのだが、前日の金曜日から続々と各々の 家庭に配られていたチュリッ…

あんなこと こんなこと(303)

先日の台湾旅行で”九分”(きゅうふん) という、昔、金の採掘場所で炭鉱夫が住み 男どもが遊び歩いた町だったところが 今や観光地としてよみがえり、昔の 町並みを生かして、その古い家を料理屋 にしたり、おみやげ屋、雑貨やとして 改装して多くの観光客を…

ラジオ村・村長の旅歴史日記(196)

昭和62年4月の免田町の フラワーカニバル会場に住民から 持ち込まれたチュウリップの プランターで、花が咲いて いるのはほんのわずかで、ほとんどの プランターに花はなかった。 大変な事になったのだ。球球磨 農業高校から持ち込まれた花は きれいに咲…

あんなこと こんなこと(301)

昭和54年に初めて熊本へやってきた時 ここで立てられる”こいのぼり”を見て 不思議に思った。 右のこいのぼりは普通だが、その隣に なにやら派手な旗のようなものが立って いる? これは? こいの数はその家のこどもの人数にもよるし、 毎年親や親戚などか…

ラジオ村・村長の旅歴史日記(194)

昭和62年1月から始まった免田町との 付き合い、祭りの準備のために住民に 配ったチュリップのプランター、それぞれの 家で丈夫に育っているかの点検のため 役場の職員はそれぞれ地区の担当を決めて 2日置きくらいにそれぞれの家を訪問 するのだが、みん…

あんなこと こんなこと(300)

日本の発展過程において、近代国家の 象徴として衛生上優れている事が一つの シンボルとして評価される、”町が きれい・・・”ということがある。 つまり、上下水道の設備、特に下水道 の整備がどれくらいあるかを日本も 気にしている。そんなわけで、熊本県…

ラジオ村・村長の旅歴史日記(193)

昭和62年1月からわずか三ヶ月の間に 祭りの準備をせねばならない事になった。 私がラジオの仕事をしていたのがきっかけ だが、ラジオとの直接の関係はなく、 個人的に免田町の役場の人々との 係わり合いの中で進行する事になったのだ。 何度も断るとうり…

あんなこと こんなこと(299)

熊本県はりっぱな農業県、合志市 には農業試験場もあってそこでは いろいろな研究が行なわれている。 だれでも気軽に構内を見学出来るように なっており、散歩がてらにこうした牧場を 楽しむ事が出来る。 黒牛、赤牛はもちろん、ホルスタインの 牛も飼われて…

ラジオ村・村長の旅歴史日記(192)

昭和62年の1月の免田町(現あさぎり町)との 付き合いは大変な方向へと進んで行った。 とにかくその年の4月に毎年恒例の「免田 祭り」と言う町をあげての祭りがあるのだが この年から”明るい町”と言うイメージに する祭りにするんだと決めている。しかも…

あんなこと こんなこと(298)

何処も同じだが、高齢化社会で 老人に健康でいてもらうのには どうしたらいいか悩みの種だが 熊本県・山鹿市・鹿本町では このような施設を作って老人会 を中心に野菜作りに取り組んで いる。 社会福祉の一環として、こうした温室を 作り、元気なお年寄りに…

ラジオ村・村長の旅歴史日記(191)

昭和62年1月30日の夜、熊本市内の ある料理屋での会合がこんなことになる とは思わなかった。 その夜は当時の熊本市民会館の副館長 重田氏を中心として、当時の免田町(現 あさぎり町)の役場のメンバーとの はじめての顔合わせだった。 重田氏ともそれ…

あんなこと こんなこと(297)

熊本県内にもイタリア並みに農村レストラン みたいなものが結構ある事を知った。 ここは合志市にある果樹園レストラン ”カサデイ・マリー”と言うレストランだが ほとんどの食材は自家製でやっているようだ。 何を食べてもおいしいし、新鮮だ。季節の ものし…

ラジオ村・村長の旅歴史日記(190)

昭和61年の暮れ宴会シーズンに合わせて 球磨郡上村(現あさぎり町)に宴会おばさんが いるというので、暮れも押し迫って12月 21日(日曜日)だったが訪ねることにした。 彼女の職業は理容師さんで、ご主人は大工さん たいへんほがらかな方で、その日は…

あんなこと こんなこと(298)

何処も同じだが、高齢化社会で 老人に健康でいてもらうのには どうしたらいいか悩みの種だが 熊本県・山鹿市・鹿本町では このような施設を作って老人会 を中心に野菜作りに取り組んで いる。 社会福祉の一環として、こうした温室を 作り、元気なお年寄りに…

ラジオ村・村長の旅歴史日記(191)

昭和62年1月30日の夜、熊本市内の ある料理屋での会合がこんなことになる とは思わなかった。 その夜は当時の熊本市民会館の副館長 重田氏を中心として、当時の免田町(現 あさぎり町)の役場のメンバーとの はじめての顔合わせだった。 重田氏ともそれ…

あんなこと こんなこと(296)

ローカルに住んでいてなおかつ 人工的な公園があくさんある事に びっくりする。ちょっと歩けば 自然がすぐ横にあるのに、写真の ような自然公園とでも言える ような施設があちこちにある。 土曜日、日曜日になればさすがに 少しは混むが、ウイークデーはのん…

ラジオ村・村長の旅歴史日記(189)

昭和61年12月下旬、水上村の建設 会社の男の人から、忘年会をやるので来ま せんか? と言うお誘いがあり、その建設 会社は森林道路を建設しているので山奥の ためラジオ以外に楽しみがなく、仕事を しながら私のラジオ番組(こちら九州 ラジオ村)を聞い…

あんなこと こんなこと(295)

昨日は山鹿市の桜の名所を紹介 したが、今回はつつじの名所を紹介 しよう。このさくらのトンネルの 場所から1キロちょっとくらいしか 離れていないが”日輪寺”という お寺さんの敷地がみごとなつつじの 里なのだ。 広大な敷地は山の斜面になっており、 つつ…

ラジオ村・村長の旅歴史日記(188)

現在住んでいる山鹿市に初めて来たのは 昭和61年11月29日のことだ。これも ラジオがきっかけで私がラジオで「熊本を 知るためにいろいろな所へ行ってみたい ので、何かきっかけを作ってください」と 呼びかけていたので「山鹿で異業種交流の 集まりが…