2010-01-01から1ヶ月間の記事一覧

あんなこと こんなこと(236)

今の社会は癒しとして犬や猫を飼う人が 多いが、犬はともかく、猫は捨てられて 野良猫になっているのが多い。私が住んで いる山鹿でも野良猫は多い。餌をやるので 食べるものに不自由しないのでどんどん 増えてくる。場所によっては「餌をやるなら 糞などの…

ラジオ村・村長の旅歴史日記(130)

昭和53年の8月から9月にかけての フリージャーナリストの中国旅行に参加 して驚いた事が一杯ある。 北京市内を案内してもらって、当然の事 ながらトイレに行きたくなり、一般市民の トイレに入ってびっくり、小便用はともかく 大の方も壁がないのだ。用…

あんなこと こんなこと(235)

私の場合は仕事もかねて歩くと言う 機会が多い方だが、街中の路地を歩いて いるとそれぞれの家の庭に咲く花などに 目が行くが、目ばかりでなく匂いで ふっとうれしくなることがある。 もう盛りをすぎてしまったがこの 冬の季節ではなんと言っても”蝋梅” だろ…

ラジオ村・村長の旅歴史日記(129)

昭和53年8月から9月にかけての フリージャーナリスト集団による中国 東北部(旧満州)への視察旅行は15日間 もあったので、かなりいろいろと視察 出来た。 とにかく初めての中国であり、国交 回復して間もなくの旅だったので、 北京空港の荷物検査の厳…

あんなこと こんなこと(234)

昨日の朝日新聞”天声人語”氏はお正月の 福袋売り場の熱気について触れ、デパートの 人気が落ちたが、さすがお正月はと言いた かったのだが、コラムニスト・天野祐吉氏が 「福袋が売れるんじゃない、福袋しか売れ ないのだ」と発言を紹介しながら、今の社会 …

ラジオ村・村長の旅歴史日記(128)

昭和53年8月26日から9月9日15日間の にっていで初めての中国取材旅行に出掛けた。 これは日中国交回復記念のフリー記者による 中国訪問旅行だったのだが、当時私はフリーの 記者として雑誌、新聞などの仕事をかなりやって いたので声がかかり参加す…

あんなこと こんなこと(233)

昨日の新聞で発展途上国で森林保全対策を 取らないと、今世紀末までにアジア、中南米 アフリカなどに現存する熱帯林の三分の二 近けが破壊され、現在の世界の排出量の 約20年分に当たる量の二酸化炭素(CO2)が 大気中に放出されることになると言う試算が …

ラジオ村・村長の旅歴史日記(127)

昭和52年から54年にかけての富山での テレビの仕事は私にとっていろいろと良い 経験だった。 難しいことより、そこで生活しなければ経験 出来ない事を一杯させてもらった。取材を かねて乗鞍岳の夏スキーを体験できたし、 砺波町のチュウリップが、なん…

あんなこと こんなこと(232)

私はウイークデーの夜、ネットラジオで 「夜はともだち」(夜10時〜11時の約 一時間放送)と言う番組を放送をしているが そこで月曜日と木曜日のアシスタントを している”つばきさん”と言う女性と 取材に出る事が多いが、彼女は”松風” と言う活け花の門…

ラジオ村・村長の旅歴史日記(126)

昭和52年から53年にかけての富山の生活 では、なんと言っても食べ物の話題が一番だ。 高岡の港からテレビの中継をした時の事だが、 仕事が終わって(朝の番組なので8時過ぎには 終わっていたのだが)魚市場の中にある食堂で 朝ご飯を食べて帰ろうという…

あんなこと こんなこと(231)

昨日は時間をみつけて阿蘇・西原村へ行って きました。霧雨模様だったので、木の枝に・・・ 雨のしずくが花のように・・・、そして 原野はまだ冬景色でした。 そんな中、農家の方たちはもう春の準備 畠はきれいに整備されていました。 いかがですか?やっと…

ラジオ村・村長の旅歴史日記(125)

昭和52年からの富山での生活は単身赴任だったので ほとんどが外食で食べ物の思い出が多い。 私が担当していた「おはようKNBです」と言う番組は 朝の7時から8時10分までの番組で、とても 朝ご飯を本番前に食べるという時間はなかったので 朝ご飯は番組…

ラジオ村・村長の旅歴史日記(124)

昭和52年10月からは富山の 北日本放送の朝のテレビのローカル ワイド番組「おはようKNBです」の パーソナリテーを引き受けるようになり、 富山に住む事になり、一週間の日程が 複雑になった。と言うのも東京の仕事を やめるわけにもいかず、月曜日から …

あんなこと こんなこと(230)

昨日に引き続いて私が今住んでいる山鹿市を 紹介します。 まず今回は山鹿の入り口、山鹿市に入る所に ある”山鹿大橋”の欄干には、山鹿の祭りの時 に踊る山鹿灯篭娘がこのように飾られています。 反対側の所には灯篭が・・・ その山鹿の入り口にある”菊池川”…

ラジオ村・村長の旅歴史日記(123)

昭和52年4月からは富山の北日本放送 のラジオ番組「それ行けサンデー」の パーソナリテイーを引き受けるように なったので、週末は金曜日に東京から 特急”とき”で新潟へ向かい、土曜日は 新潟のラジオで番組をこなして、その 夜は富山の駅前にある東急ホ…

あんなこと こんなこと(229)

やっと写真掲載出来るよになりました。 そこで今回は私の住んでる町”山鹿市”を 紹介したいと思います。 まず最初は山鹿の中心部にそびえる 市営のビル団地の7階から山鹿市を 俯瞰してみました。 さて、それでは山鹿が誇る”八千代座” (明治時代に出来た芝居…

ラジオ村・村長の旅歴史日記(122)

昭和51年からの新潟通いは前回にも 書いた通り、本来なら田中角栄総理が 乗って座るはずの座席に座っての新潟 行き、まさかこんな旅をするとは思っても みなかった。 新潟でのラジオのワイド番組での仕事は 楽しかった。ニッポン放送の失敗があるので 心配…

あんなこと こんなこと(228)

写真をようやく掲載出来るかと思い実験 してみました。去年の12月の阿蘇の 雪景色です。 後の山に雪がかぶっているのが見える でしょうか? 次ぎこそ雪景色です。 次ぎはプザンのコモドホテルの写真です。 うまくいったみたいです。今後もこの調子で 紹介…

あんなこと こんなこと(226)

日本でもアメリカでも世論調査という のが盛んだが、最近の報道を見ていると 数字ばかりが話題で、それを元に イエスかノーかを問う傾向が強いのには 反発を感じる。しかもそれをすぐに 内閣の人気に結び付け一喜一憂していて なんになるのか? 論争をするな…

ラジオ村・村長の旅歴史日記(121)

昭和51年からの新潟通いで分かった事は 当時の総理大臣・田中さんの古里が新潟で かなりの回数帰られることがあるので、 いつ帰ることがあってもお付きの人、秘書 など4人くらいの席はいつでも座れるように 特急”とき”のグリーン車のボックス席を 予約し…

あんなこと こんなこと(226)

またまた高齢者が高速道路を逆走した と言うニュースが・・・。同じ道を2時間前に 私自身が走っていたではないか! 恐ろしいことだ。私たちの周りにこうしたことが 一杯ある時代になった。老齢化の問題は深いと 思う。運転に限っても急の病気で運転不能に …

ラジオ村・村長の旅歴史日記(120)

昭和51年から新潟のラジオ局の仕事を 引き受けるようになって、毎週末は特急 ”とき”に乗っての新潟通いが始まった。 当時はまだ新幹線がない時代なので 新潟までは4時間近くかかった。通勤みたいな もので、一泊はするが、いつもの列車で いつもの旅とい…

あんなこと こんなこと(225)

日本航空が破産と言う事態になった。よって たかって食いものにした結果がこう言う事態を 招いた事は間違いない。 全国に飛行場が出来、便利と言う名の元に 道路が整備され、建物が出来、航空会社は 高い着陸料を払わされ、そのからくりは庶民 にはほとんど…

ラジオ村・村長の旅歴史日記(119)

昭和51年からは毎週一回新潟行きの旅が 始ったのだ。と言うのは、実は私とラジオの 付き合いは東京のニッポン放送から始まった のだが、これはあくまでも実験と言うか 助走みたいなもので、本格的には新潟放送 ラジオのワイド番組を引き受けた時からで ま…

あんなこと こんなこと(224)

この日曜日から月曜日にかけて熊本県 人吉市近辺を取材と友に会うために行って きたが、あちこちで春を感じて帰ってきた。 球磨川の土手にはよもぎが、小さい頃 母がそう言えばこの季節よく”よもぎ饅頭” を作ってくれたなと思い出したり、鉄道の 沿線の土手…

ラジオ村・村長の旅歴史日記(118)

昭和50年代は雑誌社の旅のページの仕事を していたので趣味で出掛けると言うより仕事で 旅に出るという事が多くなっていった。 7月には静岡県の大井森林鉄道の取材、 11月はやはり静岡県の温泉めぐり、 ”団十郎”と言うフオーク歌手の取材で 宮城、仙台…

あんなこと こんなこと(223)

政界は騒々しい。今までの日本における 政治はすべて権力と金にまみれてやって きたのだから、警察の立場からすれば こうなるのは当然だろう。 今回の選挙はもうそれをやめねばと 言う庶民声の結果だが、今までそれを やってきたのを、何処かで清算しなけれ…

ラジオ村・村長の旅歴史日記(117)

昭和50年7月19日から20日にかけて 生まれて初めて富士登山の挑戦した。私が 丁度40歳の時だ。 当時は東京に住んでいたので静岡県・ 富士市まで車で行き、富士山5合目までは 車で行かれるが、そこからいよいよ山道に 入るわけだが、山道なんて言う…

あんなこと こんなこと(222)

年が改まっていざいろいろ考えている 間にもう15日が過ぎてしまった。あれも やりたい、これもやりたいと思うが まとまらない。 しかし写真の腕をあげる事だけはなん としても実現せねばならないし、また パソコンに写真を取り込むのも早く 覚えねばと思う…

ラジオ村・村長の旅歴史日記(116)

昭和50年7月13日〜14日にかけての 長野県・軽井沢への旅は私にとってはなつかしい 旅なのだ。と言うのも戦争中私はここに約1年 くらい疎開をしていた場所なのだ。 今で言うなら旧軽井沢のはずれの小さな 牧場の跡(当時その牧場には牛はいなくて 空…