ラジオ村・村長の旅日記(062)

 昭和45年フリーのなるちょっと前だが、いろいろと雑誌社から取材の依頼が
入るようになっていった。そもそも元々がテレビのデイレクターあがりなので、
広告会社にいても制作はお手のもので、企業のPR記事をよく書かされていた
関係上、雑誌社、新聞社から取材を頼まれるようになっていったのだ。
 まだ一月の寒い時期に関東の房総半島では千葉県が観光に力を入れる意味で
”菜の花街道”と称して、国道を菜の花で埋めつくすと言う運動をやっていて、
それを取材するようにと頼まれて出掛けたりしてれいた。
 主に平凡出版と言う「月刊平凡」を発行していた出版社で、その頃週刊誌を
発行するようになって人出不足で外部の人間の手を借りての取材が多くなっていた
時期だったのだ。写真も撮れると言うことで、一人で全てをこなすことで
費用がかからない事もあって私への依頼は増えていった。これが後々の独立
へのきっかけとなっていった。・・・・