ラジオ村・村長の旅歴史日記(205)

  昭和62年5月下旬、三角町(現・宇城市)
に住む斉藤万芳氏を訪ねる事になった。彼とは
昭和50年代からの付き合いで、ミカン農家の
二代目、社会の流れに沿うのかどうかわからないが、
やたらと毎年ミカンの品種を変える農協の考え方に
疑問を持った彼は、古い木を捨てる事なく言われた
ミカンの木を育てて(そうしないと農協にミカンを
買ってもらえないそうだ)いるうちに20種類
近くのミカンが並んでしまい、どれが好きか食べて
見てください、と、私の所にそのミカンを持って
きてくれたのが彼なのだ。
  それからの付き合いで、私が選んだミカンは
その年に農協が進めたミカンではなく、前から
人気のあったミカンで「ね、そうでしょ!
農協は変えろというけれど、消費者の味の好みは
そんなには変わってないですよね・・・」と言う
のだ。でも毎年変化を要求してくる農協に疑問を
持ちながらミカンを育てている彼。
  私のポリシーが”当たり前って本当ですか?”
と言う事を生き様にして生きている事を知る彼は
ミカンの問題として私にそれをぶつけにやって
きていたのだ。その彼が”三角町を考える会”と
言うのを立ち上げたので参加してほしいと連絡が
入り、喜んで参加しようと出掛ける事になった
わけ・・・・・。