ラジオ村・村長の気ままな日記
8月15日はどうしても忘れられない日だ。私たちの年齢 の人にとっては年齢なりにそれぞれの記憶がよみがえる。 私は個人疎開で東北の秋田県の田舎にいた。灼熱の 太陽の元、むし暑い日だったと記憶している。正午には その村はほとんどが”小松”を名乗っていた村で本家の 居間にみんなが集まってラジオを聞いていた。 いわゆる”天皇のお言葉”なるものが放送され、こどもの 自分には何の事だかはっきりはわからなかったが、とりあえず 戦争は終わったと言う事らしいと言うのがわかり、皆で当時 してあった窓の黒いかカーテンを取り払い、電球の傘にして あったやはり黒い布をはずすと言う作業をしたように思う。 8月15日と云う日はそういう日だったのだ。負けるとか 勝つとかそんな考えは別にして、とにかく戦争が終わった と云うことだけで村は明るくなった。特に夜が明るくなったのを 覚えている。街灯が付くようになったせいだろう。それまでは 夜の道は真っ暗だった。敵の飛行機から家があるのかわからない ようにするために電燈は一斉消されていたのだ。 今では終戦と云うが、私にとっては”敗戦”戦争に負けた言う 表現のほうが身にしみる。戦争が終わったなどと言うなまやさしい ものではない。負ける戦争の悲惨さ、勿論勝った方も多くの犠牲者 を生んでいるわけだが、どちらにしても親からもらった命を軽々と 国に捧げ、それを良しとした戦争と云う状況、原子爆弾が投下されて 初めて目覚める愚かさ、こんな繰り返しはしてはならない。その 時に生きていた人でなければ伝えられない愚かさを伝える人がどんどん 少なくなってきている、私もその一人だが、なんとか伝えてゆこうと 思っている。