落第坊主の履歴書(666)

 元暴力団の親分Nさんとの付き合いは長く続いた。と言っても彼は肺を患っていたので、
平成14年の8月には入院せねばならなくなり、元気に私と討議する時間はほんの2年
ばかりだったが、かなり長いお付き合いをした感じだった。
 極端にはほとんど毎日見せに顔を出していたので、山鹿の将来の事、日本の政治の
あり方についてなど、ありとあらゆる事に興味を持っており、長期の刑務所生活では
かなりの本も読んだようで、当時読んだ本の事についてもいろいろと教わった。
 

 じつは昭和56年から私は刑務所奉仕で通っているが、真面目にそこで過ごして
いる人は実によく勉強していると聞いたいたが、Nさんの話を聞いて本当だと思った。
勿論趣味で読む本もあるが、哲学書、政治、社会、教育などの本をかなり読みこなした
ようだ。彼の紹介で今の子分を紹介され、Iさんと言う人物と付き合うようになったが、
彼は外から見るかぎりいかにも暴力団員と言う感じのする男だが、Nさんも人がよい
人で後に彼の世話で私が金に困った時に代行運転の仕事を世話してくれたりしてもらった。


 山鹿の生活は私にとってかなり変化のあるものとなっていった。たった2年の間に
このありさまだ。あいかわらず峰の露酒造のまつり、熊本市内・三軒町商店街のまつり
山鹿産業祭の祭りの進行役の仕事は続けていたし、各種の講演会の仕事もぼつぼつ
入り、なんとか生きてゆけたが、このままで良いのだろうかと悩んでいた。
 、商店主と言う仕事はどうも私には向いていないようなのだ。人から直接お金を
もらうのが苦手で、採算を度外視してもおいしいものを出そうとするので経営上
問題なのだ。このためにいくらお客が来ても赤字が出っぱなし、どうしたものか赤字の
連続なのだ。・・・・