落第坊主の履歴書(667)

 実は平成12年の秋、私と親しい広告代理店のNさんから、「小松さんはやはり放送の
仕事をしている時のほうが似合っている・・・」と言われ、、機会があったらもう一度
ラジオをやってみませんか?と言う話があり、水面下で彼が地元RKKラジオと交渉を
していたらしく、ついに実現することになった。
 勿論RKKのUさんとの協力で、この年の10月からRKKラジオで「こちら九州
ラジオ村」が復活することになったのだ。


  何を隠そう、前にやっていたラジオ村と言う番組は確かにおかげさまで任期を得たが
番組事態はほとんどが東京から送られてくる番組の隙間を埋めていたような番組で
名前こそ「こちら九州ラジオ村」と言っていたが、3時間くらいのワイド番組とは言え、
私がオシャベリしていたのは合計してせいぜい20〜30分あったかなかったかくらい
だったのだ。
 つまり、それまではその時間はローカルニュースと交通情報と天気予報などで
時間をつないでいたのだ。それでは情けない、と言うことでもっと地元の人に
喜んでもらえれような内容のものを盛り込もうと言うことで始めた番組なのだ。
とは言ってもなかなか難しく、それなら東京の番組を「こちら九州ラジオ村」
と言う名前で括ってしまえ、と言うことになり、こんな名前が付けられてスタート
したと言うのが実情だ。 


 したがって「みんなで歌おうかわらべ歌」などと言う童謡を歌うコーナー、
「うちに父さん」と言う我が家の父の自慢ばなし、「ラジオでジャンケン」
と言うようなコーナーをちりばめて始めた番組だった。そのほかに当然の
ことながら、地元の人からのお便り、お誕生日紹介コーナーのども設けて
スタートした。こんな番組だからそれほどの取材があるわけでもなく
本人はいたってのんびりと楽しくやっていたのだが、今回の復活番組は
まるまる2時間近くの番組と言うことで飛んでもない大形番組なのだ。
とんでもない事になったな、と言う気がした。・・・・・、