ラジオ村・村長の旅日記(025)
昭和34年の初めての海外出張取材旅行の締めくくりで とんだハプニングが起こった。何故かは思い出さないが 台湾から日本へ向かう飛行機の都合だったのだろう、ジェット機 ではなくペロペラ機で帰る事になってしまったのだ。チケットは ジェット機のものだったのだが、当時は両方が飛んでおり プロペラ機の方が時間がかかると言うことで料金が安かった。 私は別に急ぐ旅でもなかったので変更を了承してプロペラ機で 帰ることにした。 これがハプニングの元になった。乗客は私を含めて3〜4人 スチュワーデス(現在は客室乗務員と言っているが)が5人 という状態だった。プロペラ機だと日本まで4〜5時間かかる。 普段なら順番におしぼりが出て、飲み物のサービスがあって 夕方遅く着く便だったので夕食のサービスがあるのだが、なんと 一箇所にお客さまを集めて、スチュワーデスもそこに集まり 和気あいあいの旅を展開することになったのだ。カタコトの 英語とインドネシア語(この飛行機はインドネシアのガルーダ 航空のものだった)が加わっての$〜5時間の旅、彼女たちは インドシルクの制服のまま我我の席の周りの席に座り、飲み物は 次から次ぎと持ってくるし、記念にと写真は撮るし、お酒も 多少たしなむという具合、あっと言う間の4〜5時間だった。