昭和41年のヨーロッパ出張旅行、もめにもめて現地で解散と言う事になったが、あくまでも
広告代理店(第一広告)に勤めていてその社員としての仕事でやってきているので、初期の
目的は達成出来なくとも何らかの収穫がなければ大失敗になるので、ヨーロッパフアション
事情視察の目的は果たせねばならず、フアッション・デザイナーの力を借りずに、独自の考えで
廻るより方法はないので、レポーターとして連れてきた女性の力を借りねければ私一人の目では
とても不安だったので、彼女に残ってもらって、取材を続行する事にしたのだ。
とは言え、前にも書いた通り、私32歳、彼女は24〜歳だった思う。もちろん私には
当時妻もおり、一方彼女は独身、まずい組み合せである事はわかっているのだが、仕方ない。
それに費用の余裕もないので、二つへ屋を取るわけにもゆかず相部屋、その件に関しては
彼女も了解ずみなのだが、とにかく気を使う。そうかと言ってフアッションには今まで
あまり関心がなかった私だから自信がない。そんなこんなで2〜3日旅を共にしたが
何処のホテルでも新婚さんと間違われて部屋へ入るとホテルによっては花束が置いてあり、
食堂で食べるとお祝いのシャンペンが用意してあるという状態。こんな旅行は気まずく
こっちもくたびれるので会社と相談して単独行動でなんとかしのぐことにして、彼女
にはわるかったのだが日本へ帰すことにした。それからがまたたいへんだった。・・・