ラジオ村・村長の旅歴史日記(129)

  昭和53年8月から9月にかけての
フリージャーナリスト集団による中国
東北部(旧満州)への視察旅行は15日間
もあったので、かなりいろいろと視察
出来た。
  とにかく初めての中国であり、国交
回復して間もなくの旅だったので、
北京空港の荷物検査の厳しいのには
驚いた。カバンはもちろん全て中味を
出しての検査、洗面道具もすべて、そんな
具合だから税関を通過するのに(10人
くらいの団体だったが)1時間以上かかった。
  いよいと空港のロビーへ入るや例の
”熱烈歓迎”の横断幕の大きいこと!
しかもジャーナリストの団体という
ことで、一人に一人の通訳がつくくらいの
感じだったが、実はよくよく考えてみると
監視の意味もあったようだ。
  北京空港からはマイクロバスで市内へ
向かったのだが、夜だったのではっきりは
わからないが、とにかく街灯も薄くらく
その中を飛ばすこと飛ばすこと、車の
ライトも補助ランプしか点灯しないのだ。
行き交う車がみんなそうなのにはびっくり。
確かに相手を確認を出来るが危ないこと
この上ない。  庶民の服装は人民服
(カーキ色)なので、どちらかと
言えば暗い色なので見にくい、しかも
すれ違う車を見ているとトラックの
荷台に何人も乗って移動している人が
多いのだ。話を聞くと街灯が暗いのは
電力が不足しているので倹約のため
そうしていると言うことだった。
車はバッテリーがあがるのを防ぐため
なのだろうか、戦争中の日本のように
防空管制のためだろうか、その辺は
はっきりした答えはなかった。現在でも
そうだが、中国国内は夜の町は一部を
除いてどちらかと言うと暗い。