ラジオ村・村長の旅歴史日記(130)

  昭和53年の8月から9月にかけての
フリージャーナリストの中国旅行に参加
して驚いた事が一杯ある。
  北京市内を案内してもらって、当然の事
ながらトイレに行きたくなり、一般市民の
トイレに入ってびっくり、小便用はともかく
大の方も壁がないのだ。用を足している所が
丸見えで平気なのだ。これにはどぎまぎ、
現在はどうか知らないが、公衆トイレは
少なくともみんなそうだった。
  さてジャーナリストということで、
人民日報社の訪問が許され、社内を案内されたが
編集員の部屋は個室になっていて独立して
仕事が出来るようになっているのも
めずらしかった。また、丁度その当時から
記事に他のメンバーが意見を言えるように
なったと言うことで、廊下の壁に貼られた
新聞に反論や、意見が赤字で書き込まれて
おり、少しずつ民主化されているのかな
って言う感じだったが、華やかな雰囲気は
なく、どこか静まりかえった社内が気に
なった。
  一歩外に出ると庶民の服装は人民服で
女性も全く同じで、化粧姿はほとんど
見かけなかった。監視の目を盗んで、
庶民が入る大衆食堂にはいって麺を頼んで
みたが安くておいしかったのだが、いざ
支払いの段になってわかったのは、当時
私たちに換金してくれた中国元のお金は
外国人のみが使えるカネで、この食堂
では通用しないのだ。たまたま親切な中国人
がいて、私たちのかわりに自分たちが
持っているお金で払ってくれたのでなんとか
そこを離れる事が出来たが、問題に
されたら事件になるところだった。
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