ラジオ村・村長の旅歴史日記(164)

  昭和57年4月29日から5月6日まで、久しぶりに
南廻るでエジペト、パリへの取材旅行にでかけた。
  この3月に熊本RKKの仕事が一段落し、6月から
熊本県民タレビ(KKT)の仕事が始まるので、当分
何処にも行けなくなるので、この際出掛けておこうと
言うことで、珍しいツアーがあるというので参加する
ことにした。
  今や中国大陸を横断にてウラル山脈経由でパリへ
行くというコースが普通だが、エジプトに寄る旅の
ため、成田からシンガポールバーレーンを通過
してエジプトに入るというコース、昭和43年ころに
このコースでヨーロッパ取材に出掛けた事があったが
それ以来の南廻りの旅だ。
  それにエジプトは初めてで、是非行ってみたいと
思い、雑誌社、ラジオ局の仕事をかねて行くことに
した。
  バーレーンに寄るのも初めてだったが、残念ながら
ここは深夜のため空港ロビーに出ることを出来ず、
飛行機の窓からちらっと覗いただけでエジプトへ
いざカイロに近ずくと下の地面はまっ茶色で、沙漠?
以外何も見えない。建物も現れないのだ。空港ちかくに
なってもその状態、これにはびっくりした。
  空港に降りて町へバスで出たのだが、ほとんどが
平屋の家でしかも木造の家、まさに田舎町という
感じでカイロ市内には入った。町には入るとどこの
町でも見かけるように交通渋滞、クラクションを鳴らす
のでうるさいこと、今回の宿泊ホテルはなんと有名な
ピラミットが部屋の窓から見えるホテルだったのには
驚いた。
<*あんなこと こんなこと(271)
  今回は県境に挑戦してきた。熊本県と福岡県の
県境、小栗峠へ・・・・


  県境というのは峠だったり、川だったりだが
ここは峠・・・


  さすがにここには古い道標があるではいか!


  そこに書かれている文字がすごい。時代を感じ
させる文字なのだ。


  福岡まで17里9丁・・メートルも書いてあるが
なんとなく歩いて行きたくなるような?表現だ。


  熊本までは11里3丁と・・・


  そんな道標があるなんて考えもせず、国道
3号線を車は走り抜けていました。