ラジオ村・村長の旅歴史日記(191)
昭和62年1月30日の夜、熊本市内の ある料理屋での会合がこんなことになる とは思わなかった。 その夜は当時の熊本市民会館の副館長 重田氏を中心として、当時の免田町(現 あさぎり町)の役場のメンバーとの はじめての顔合わせだった。 重田氏ともそれほど親しいわけでは なかったが、音楽仲間の中山正直氏との 関係で是非会ってほしいということで 会合を持つことになったのだ。 その会合とは当時の免田町はかつての 免田事件の影響で暗いイメージがあり 特に免田町出身者は自分が免田町出身 と言うことが言いきれないということで なんとか免田町のイメージを明るい ものにしたいという考えを持っていた のだ。そんなわけでその年の町の祭り からなんとか明るい方向に切り替える ために”フラワーフエステイバル” みたいなものを開催したいと思って 宮崎県などへ視察に行ったが、 免田町のような地方都市ではそんなに お金のかかる祭りは出来ないと言う ことで智恵を貸してほしいというのが 今回の会合の主旨だった。 それにはかわった考えを持っている ラジオ村の村長に話を持っていったら と言う事になったのだが、なにしろ 役場の人間は昼間ラジオを聞くことが ないのでラジオ村の村長なんて全く 知らないので、とにかく依頼する前に どんな人か会ってみたいというので 顔合わせになったのだ。 こうしてまずは探り探りの会合と なったのだが、うまがあったと言うか とにかく会合を重ねて案をひねろうと 言うことになった。なにも宮崎の 真似をすることはなかろう?独自の 考えでやろうではないか、と言う のが始まりだった・・・・・・