あんなこと こんなこと(254)

  現代人は便利という名のもとに、道具を使い
手も、足もあまり使わない、その結果、手も
足も退化しつつあるといえないか・・・。
人間は道具を使うことによって他の動物と
違う存在になったはずだが、その手もあまり
使わず握る力、重いものを持つ力が退化
しているといえないだろうか?
  足もしかりだ。車社会になり、特にローカル
では何処に行くにもすぐに車を使う。バスなどの
公共交通機関が不便なのでなお更のこと車に
頼る生活を強いられていると言てもよいだろう。
  その結果、足も退化しているとも言える。
その証拠に、特に外国、車社会の国に行くと
わかるが、車椅子の人が如何に多いか・・・、
年を取ると足が弱ってきて車椅子に頼る生活
になってしまう。そこで生まれたのが
低床電車、バス。しかしよく考えてみると
手、足を鍛える事を忘れたがために、車椅子に
頼るため、低床電車を走らせる結果になったと
言えないか。
  勿論生まれた時からの身体に障害がある人も
いるので、そうした弱者を助けるための方策を
考える必要はあるが、よく考えると低床電車を
走らせなくて済む社会を作ることの方が大切と
言えないか!多くの車椅子利用者を作らないような
社会を作れば、医療費も少なくて済むはずだし、
それが本当といえないか。

  排気ガスを出さない電車、CO2(二酸化炭素)
削減のためにもこうした電車を走らせることこそ
人間のためにも必要なことだ。熊本はうれしいことに
市電が走る街、私は熊本を”動く市電博物館”に
したらと思っている。つまり、全国の昔の市電を
集めて、実際に走らせ、”癒し”の町として
知らしめ、全国からそうした市電に乗りたいがために
観光客が集まってくるような町になってほしい。

  もう一度問う、足はなんのためにあるのか?
歩くためにある。歩かないとどんどん衰えて行く。
低床電車を走らせる事を誇りに思うような社会ではなく、
むしろそうした電車がない街を作る事を誇りに思える
ようにならねば・・・・。