2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧
今回のトルコ旅行、カッパドキアでは 私たちはかつて一般の人たちが住んでいた 洞窟の家を改装したホテルに泊まったのだが あまりにも改装しすぎていて洞窟に泊まって いると言う感じではなかったが、照明が 暗いので、その点でなんとなく洞窟かなと 言う感…
昭和63年4月23日から25日にかけて RKKの前でやっていた「ボイス」と言う 店の模様替えをしようと、コーヒー茶碗や カーテンなどのいろいろを仕入れに韓国 プサンに出掛けた。 こんな買い物旅行に行くのは初めてで 国際市場を中心に物色したが、た…
今回は久しぶりにローカルの話題を お伝えしよう。 夏の果物と言ったらスイカだが、熊本 と言えば”植木スイカ”が有名だが 熊本県内では多くの農家がスイカを 競って作っている。いま出荷が始まった ばかりだ。 ご覧のように市場には取りたてのスイカが ずら…
昭和63年1月上旬、久しぶりに大坂 神戸へ出掛けた。もともと私は神戸と言う 町が大好きで、三の宮の古いコーヒー屋 ”にしむら”へ立ち寄り、コーヒーを 飲んでからぶらぶら神戸の町を散歩する と言うコースになるのだが、神戸には こうしたコーヒーショッ…
トルコ旅行の続きだが、奇形の岩が続く カッパドキアだが、あきらかに他の町と 景色が異なる。 奇岩の中に町が存在していると言う 感じだ。 私たちが泊まったホテルの周りの地方道は こんな感じだ。 これはホテルの近くにあるレストランから の展望だが・・…
昭和62年11月下旬、大分県・別府市の 別府温泉に初めて行く事になった。 九州にいて別府には行ってなかったので 一度行ってみようと思っていた。温泉 ばかりでなく外国船・オリアナ号が係留されて いると言う事で、私は船にあこがれていたので 内部を見…
こちらのミスで5月10日分を消して しまったので、あえてここに「あんなこと、 こんなこと」のみを再録させてもらいます。 今回のトルコ旅行だが、世界遺産の登録 されているだけあってその景色はまれに見る 光景だ。 観光地化されてりるので、洞窟を勝手…
今回のトルコ旅行”カッパドキア”の景色は そごい。奇岩が町のあちこちにある。 この写真に見える赤っぽい崖はレッドバレー と言われていて、夕陽を浴びると赤く染まって きれいに輝くそうで、残念ながらこの日は 夕陽が当たらなかったので、かすかに ピンク…
昭和62年7月からは熊本県内の各地の お祭りに参加するようになっていった。 熊本市内・三軒町振興会、津奈木町商工会 波野村祭り、多良木町祭り、一ノ宮町農協 祭り、菊鹿町ふるさと祭り、などなど こうした祭りに参加することによって 多くの熊本県民と…
今回のトルコ旅行だが、いよいよ奇形 と言われている”カッパドキア”へ行く ことになった。下の地図で言うと、左の 所に書かれているが、コンヤ経由 カッパドキアと書いてあるところだ。 カッパドキアの周りには火山もあり 今も噴火を続けているので、地震も …
昭和52年7月上旬、阿蘇郡・波野村と 言う所に行くことになった。ここは集落が 何箇所かに分散していて、その集落同志が 離れているので、どうしてもまとまりがなく 村としての交流がないので、なんとか まとまりを造りたいと言う役場の依頼で その相談に…
今回のトルコの旅、コンヤからほんの僅かの 距離にある”パムッカレの不思議な世界へ案内 しよう。 私の後ろに広がる景色は石灰棚の温泉地なのだ。 バムッカレは「綿の城」と言う意味だそうで かつて綿の産地だったそうでそこからつけられた 名前だそうだ。 …
昭和62年6月2日、阿蘇郡・久木野村 青年団を訪問する事になった。副団長が今村 さんと言う女性と言うこともあって、珍しい 存在なので、一度会ってみようと言うことに なったのだ。 この今村さんのお父さんが御船町でタクシーの 運転手さんをやっていた…
今回のトルコの旅、コンヤからほんの僅かの 距離にある”パムッカレの不思議な世界へ案内 しよう。 私の後ろに広がる景色は石灰棚の温泉地なのだ。 バムッカレたは「綿の城」と言う意味だそうで かつて綿の産地だったそうでそこからつけられた 名前だそうだ。…
昭和62年6月2日、阿蘇郡・久木野村 青年団を訪問する事になった。副団長が今村 さんと言う女性と言うこともあって、珍しい 存在なので、一度会ってみようと言うことに なったのだ。 この今村さんのお父さんが御船町でタクシーの 運転手さんをやっていた…
今回のトルコ旅行だが、トルコの人たちが こんなに親日的だとは思わなかった。過去に 日本の和歌山県沖でトルコ船が遭難し、助け られた恩を感謝すると言う事があちらの学校の 教科書に載っているので、知らない人は一人も いないのだ。そんなわけで日本人と…
昭和62年の5月下旬の三角町・斉藤万芳氏が 主催する”三角町を考える会”へ出席していろいろ みんなと話し合った。どこでもそうだが、町の中 から見るのと外から見るのでは考えが違うものだ。 たまたま私は外者と言う立場なので思い切った 事を言うことが出…
今回のトルコの旅、なにしろイスラム教徒が 国民の90%と占めるという国だけに体をあまり 出さないスタイルの服装が目立った。 生粋の信者はこのように頭からすっぽりと ブルカをかぶるので目だけあるいは顔だけは 隠さずのスタイルだが、しかし若い人たち…
昭和62年5月下旬、三角町(現・宇城市) に住む斉藤万芳氏を訪ねる事になった。彼とは 昭和50年代からの付き合いで、ミカン農家の 二代目、社会の流れに沿うのかどうかわからないが、 やたらと毎年ミカンの品種を変える農協の考え方に 疑問を持った彼は…
今回のトルコ旅行は3000キロのバスの 旅というものだったが、なにしろ見るもの、 聞くもの珍しいものばかりで退屈はしなかった。 さすがに長距離の旅なのでトイレ休憩は2時間 置きくらいにあり、ドライブインに立ち寄る のだが、これはお客だけのためで…
昭和62年4月3日から5日にかけて 球磨郡・免田町(現あさぎり町)へ出掛けた。 この年から毎年この時期に免田町へ行くことに なった。 と言うのも昨年行なったフラワーヘステイバル が大成功だったので続ける事になったからだ。 61年の第一回の祭りは…
今回のトルコ旅行は4月22日から5月 2日までの11日間という長旅だったので 正直疲れた。廻ったところは下の地図に あるとうりでイースタンブールから出発して イースタンブールに戻る3000キロの バスの旅、なにしろ日本の二倍の広さの 国だけに廻…
昭和62年3月、私が音楽に趣味がある関係上 音楽仲間との交流が増えてきた。熊本には 東京でプロとして活動していたのだが、家庭の 事情で田舎に帰らねばならず、なんとなく引退 するのもと言う事なのだろう、ある人はスナック などにお客で来てウクレレを…
この4月22日から5月2日までの トルコ旅行だが、なんだかんだの南廻りの 飛行機旅も終わり、やっとトルコの首都 イースタンブール空港に着いた。 思っていたよりかなり広い空港で空港内の 看板もご覧のようにいかにもトルコという 感じで迎えてくれた。 …
昭和62年の2月下旬、阿蘇の的場(まとば) 地区の住民大会がるので来ませんか?と言う お誘いがあたので出掛ける事にした。 阿蘇外輪山の麓の斜面の部落で、その ほとんどが酪農農家だった。30〜40人 集まっただろうか・・・。当然のことながら 中年…
昨日の朝、トルコから帰ってきました。 丸11日間の長い旅、正直言ってくたびれ ました。 特に今回は飛行機が南廻りの旅だったので トルコまで18時間、休憩などを含めると 24時間近くの旅だったのでこれも こたえました。 私自身は昭和40年代の旅では…
昭和62年2月7日から8日にかけて 宮崎・霧島・鹿児島へ旅をした。昭和54年に 熊本に住むようになって初めての南九州への 旅で、海外旅行の普及でいかに宮崎が衰退して してしまったかをまざまざと見る事になった。 海の美しさ、ヤシの並木はいかにも外…
今回のトルコ旅行”カッパドキア”の景色は そごい。奇岩が町のあちこちにある。 この写真に見える赤っぽい崖はレッドバレー と言われていて、夕陽を浴びると赤く染まって きれいに輝くそうで、残念ながらこの日は 夕陽が当たらなかったので、かすかに ピンク…
昭和62年7月からは熊本県内の各地の お祭りに参加するようになっていった。 熊本市内・三軒町振興会、津奈木町商工会 波野村祭り、多良木町祭り、一ノ宮町農協 祭り、菊鹿町ふるさと祭り、などなど こうした祭りに参加することによって 多くの熊本県民と…
今回のトルコ旅行”カッパドキア”の景色は そごい。奇岩が町のあちこちにある。 この写真に見える赤っぽい崖はレッドバレー と言われていて、夕陽を浴びると赤く染まって きれいに輝くそうで、残念ながらこの日は 夕陽が当たらなかったので、かすかに ピンク…